価値観の多様化などから死んだ後は散骨など、自然に還る方法を選ぶ人が増えているようです。その場合、気になるのが命日です。

残された家族や親族は、命日をどのように過ごせばよいのでしょうか?また、本人はどのように命日を過ごしてほしいと思っているでしょうか?

主な宗教ごとに死生観、命日のとらえ方、今注目されている散骨や散骨した時の命日の過ごし方についてをご紹介していきます。

命日をどう過ごせばいいのか家族は戸惑っています

命日をどう過ごせばいいのか家族は戸惑っています
ある有名な女性歌手が母親を亡くして、一周忌を迎える時のエピソードです。一周忌を「どう過ごすべきか」や「どういう気持ちで迎えるべきか」を悩んでいたところ、家族を亡くした経験がある友達から「兄の場合は命日を偲び、父の場合は父の誕生日を祝うの」といわれたそうです。それを聞いた女性歌手は、故人の偲び方はそれぞれいろんな形があって、命日にとらわれる必要もないのかな~と考えるようになり、少し落ち着いたそうです。

仏教のある宗派では、命日は故人が残してくれた本当の『贈り物』ととらえられています。

著名な歴史的人物や文学者、歌手の人たちの命日には、供養祭や追悼の集いやイベントなどが行われ、改めて故人の業績や活動などに目を向けることができます。彼らの足跡は私たちへの生きる道標ともなり、励ましにもなります。これは著名人だけに限りません。

家族や親族にとって、故人やご先祖様の「命日」は特別で、日常生活を送る中でもその人たちの存在を身近に感じたいと思う日なのです。

命日とはどんな意味があるのか?

命日とは

日本人が多く信仰する仏教の用語です。故人の亡くなった日にあたる、毎月または、毎年のその日を指します。

月々巡ってくる命日は「月命日」といい、例えば5月15日に亡くなった場合、15日のみを指し、年に11回訪れます。一方、故人の亡くなった月日は「祥月命日」といい、年に1回しかありません。

仏教では供養を通じて、命日は故人が「仏になった、成仏できた」すなわち「喜ばしいこと」と考えられています。最近では、「祥月命日」は「命日」と同じ意味で使われることが多いようです。

命日のとらえ方や過ごし方は人ぞれぞれです

命日のとらえ方や過ごし方は人ぞれぞれです
仏式では、命日にはお墓や仏壇の前でお参りをしたり、掃除をしたりします。しかし、近年ではお墓や仏壇を持たない家が増えてきています。

また、命日の過ごし方にも住んでいる地域によってや各家庭の信教によっても違いがあり、決まりきった正解はありません。ですが、命日になれば私たちの大半は故人との思い出を懐かしみ、在りし日の姿を思い浮かべるものです。

また、年齢が上がるに従って、ご先祖様にも思いをはせる人が多くなります。

宗教によって死の考え方や弔い方も違います

宗教によって死の考え方や弔い方も違います
宗教の歴史は大変古く、ネアンデルタール人やクロマニヨン人が既に死者の埋葬や呪術という宗教的な儀式を行ったといわれています。古代の人にとって自然現象や人知を超えた不思議なもの、特に病気や死は不安や畏れの対象でした。

それらは、逃れられない苦しみと思われ、自然崇拝や精霊崇拝、祖先への崇拝が行われるようになったといわれています。「何のために生きるのか?」「なぜ、こんなにつらいのか?」「死んだらどうなるのか?」といった問いや悩みに対して、宗教は応える役割を担っていたのでしょう。

最近、日本で宗教といえば「お正月の初詣」や「冠婚葬祭」など限られた機会でしか感じられないと思います。それらは私たちの死生観や倫理観をはじめ、生活習慣や行動などに影響を与えています。

次に、国内にある主な宗教とそれぞれの死生観や命日の過ごし方についてをご紹介していきます。

仏教

仏教は、人の生きることと死ぬことを一言で「生死(しょうじ)」といい表します。「生」と「死」は分けて考えないのです。

また、故人の命日を迎えるにあたり、故人を偲びつつ、生きている私たち一人ひとりが自身を見つめ直し、命というものの在り方をしっかりと見つめることを説いています。仏教では故人を偲び、そのための行為を「供養」といっています。

仏教の供養とは
  • お墓や仏壇を掃除する
  • 仏様に香華・燈明・飲食などのお供え物をする
  • 故人の冥福を祈る

「月命日」では、仏壇には故人が好きだった果物やお菓子、お酒、お花などのお供え物や線香を供え、手を合わせ、静かに語りかけます。一方、「祥月命日」の代表的な供養の方法は、法要を営み、お寺の住職を呼んで、お経を上げてもらいます。

多くの場合、一周忌(故人が亡くなってから1年経った日)、三回忌(故人が亡くなって2年経った日)に行われ、三回忌以降は、三と七がつく祥月命日に、七回忌、十三回忌、十七回忌と続きます。最近では、三十三回忌か五十回忌を迎えた後に、これ以上行わないという意味の「弔い上げ」を行うことが多くなっています。

神道

神道は日本固有のもので、古代からある民俗宗教です。元々は特定の神様を信仰する宗教ではなく、自然への信仰だっただろうといわれています。そのため、教祖や教え、経典などはありません。

飛鳥時代、仏教が日本に伝来されると、神道は仏教の影響を受けるようになり、仏教でいうお坊さんの立場にあたる神主という存在が登場しました。

神道では、死とは「不純なもの」としてとらえられ、神主によって穢れがはらわれます。そうすることで故人の魂は神様の元に帰り、家を守り続ける神になると考えられるので、残された人たちは「冥福を祈ること」はしません。

なお、仏教にあたる法要は「霊前祭」、年忌法要は「式年祭」といわれています。

キリスト教

キリスト教の教派には、大きく分けて3つあります。

  • カトリック教会
  • プロテスタント教会
  • 正教会
カトリック

死は肉体が滅んでも霊魂が神の元に召され、永遠の生命が始まると考えられています。

プロテスタント

死とは「神の祝福」ととらえています。

キリスト教では、仏教でいう供養という概念がありませんが、法事・法要にあたるものはあります。カトリックでは「追悼ミサ(追悼式)」、プロテスタントでは「記念集会(記念式)」と呼ばれています。

なお、礼拝の後には別室で茶話会が設けられ、故人の思い出を語り合います。

散骨が注目されています

散骨が注目されています

  • お墓を管理する人がいない
  • 管理する人がいても遠方にいて管理することができない

などの理由で散骨を考える人が増えてきています。けれども、実際には散骨を行っている方はまだ少数派のようです。

散骨を行う人が少ない理由とは…

散骨方法はどんなものがあるのか?
散骨した後はどうなるのか?
など、分からないことが多いために興味はあるけれど、一歩を踏み出せない人が多いのではないでしょうか…?

散骨とは

自然葬の一つです。山林や海・川・島などにご遺骨を2ミリ以下に細かくした後にまく方法です。以前は、散骨は違法と見なされていましたが、1991年にあるNPO法人が相模湾で散骨を行ったところ、国が特に違法性を認めなかったため、徐々に社会的に認知されるようになりました。

現在、日本で散骨する場合、公的な機関へ許可や申請書類などは必要ありません。ただし、条例によって散骨を禁止している自治体があったり、私有地へ散骨する場合には許可が必要だったりします。

また、散骨場所の近くに住む住民たちへの配慮も忘れてはいけません。

散骨した場合の命日はどうなるのでしょう?

散骨のタイミングは様々です。

仏教の場合は、四十九日の法要時に納骨を行う人が多いので、そのタイミングで散骨を行う場合があります。一方で、業者にご遺骨を預かってもらい、一周忌や三周忌、故人の誕生日を節目に散骨をする場合もあります。

そのタイミングでは、家族や友人たちと一緒に故人のゆかりの山や海へ行って、故人を偲ぶこともできます。どうしても現地に行けない場合には、自分なりの命日の過ごし方をすることになります。

散骨は「お墓がない」「お墓の管理が必要ない」という事実があって、命日についての決まりはありません。自分たちらしい命日の過ごし方をしてよいのです。

海洋への散骨

海洋への散骨
船を貸し切ったりして、海へ散骨をします。

  • 一隻まるごと貸し切って散骨をする
  • 他の家族と合同で散骨をする
  • 業者にお願いする

などの方法があります。

一般社団法人日本海洋散骨協会によって決められたガイドラインがあり、適切な方法と場所を選べばできます。命日に、散骨したポイントに行きたい場合には、年忌法要のクルーズを企画している業者を利用する手があります。

希望者と一緒に散骨ポイントに船で出向き、散骨時と同じく献花や献酒、黙祷をして、故人に思いをはせます。その際、遊覧や会食もできます。

天候次第ですが、親族や友人が揃うよい機会にもなるようです。

山への散骨

山への散骨
故人とゆかりのある山へ散骨する方法です。山には所有者がいますので、土地の所有権や水源地への散骨の許可が認められれば、散骨はできます。

森や林にご遺骨をまくという方法は樹木葬と似ていますが、遺骨を納める場所が特に決まっていたり土の中へ収めたりはしません。ご遺骨を散骨した地点は、業者から教えてもらえるので、また足を運ぶことができます。

ただし、高齢者や足が悪い人がいる場合は、散骨時同様、現地に赴くことが難しいかもしれません。

散骨と樹木葬との違いがあります

最近、新聞などで樹木葬の広告を目にする機会が多くなりました。散骨と樹木葬は共に自然葬ですが、大きな違いがあります。

樹木葬は墓地埋葬法による許可を得た墓地に「ご遺骨」を埋葬し、樹木を墓標として弔います。埋葬方法は自然の里山を生かし、ご遺骨を埋葬するたびに苗木を植えるもの、墓地の中央にシンボルとなる樹木を植え、その周辺にご遺骨を埋葬するものなどがあります。

仏式であれば、命日はお供え物も供えることができ、お坊様を読んでお経を上げてもらうこともできます。なお、ほとんどの施設が宗派を問いません。

空への散骨

空への散骨
空への散骨は、セスナ機やヘリコプターで沖合まで飛び、空からご遺骨を海洋にまく方法です。その多くは乗り物をチャーターして、少人数で現地まで行きます。

セスナ機やヘリコプターに乗ることは、船と違って船酔いの心配がありませんが、空港へのアクセスが限られていたり、機体によっては全員が参加できないこともあります。散骨は海の上で行うのが一般的です。

天候の影響を受けやすいですが、海域や海況に左右されないからです。

最近ではバルーンや宇宙で散骨する方法も

最近ではバルーンや宇宙で散骨する方法も
大きく丈夫な風船にご遺骨を入れ、成層圏に飛ばす「バルーン葬」という方法もあります。風船は高度40km以上になったら破裂して、ご遺骨が空に舞いちります。

風船を飛ばす場所は、近辺に高層ビルがないなどの制約があるなどして、飛ばす場所を自分たちで探さなければなりません。また、ご遺骨や遺灰が入った専用のカプセルをロケットに搭載して、アメリカや日本の宇宙基地から打ち上げる「宇宙葬」という方法もあります。

打ち上げたロケットは、数日から長い年月をかけ地球を回り、最終的に大気圏に突入してカプセルは流れ星になるそうです。宇宙葬の価格は、昔と比べ100万円以下と下がってきており、今や特別な人が行う弔い方ではなくなってきています。

故人の趣味・嗜好を反映することができるバルーンや宇宙への散骨は、命日を問わず星空をながめることで故人を偲べます。散骨のかたちは地球にとどまらず、宇宙にまで広がっているのです。

散骨に迷う場合は手元供養もあります

散骨に迷う場合は手元供養もあります
「すべて散骨してしまうと後悔しそう」と思う人には、「手元供養」という方法があります。ご遺骨の一部を自宅や手元に持ち帰るということで、一種の分骨として考えられます。

最近では、手元供養をする際の「手元供養品」というものがたくさん出ています。それは2つのタイプがあります。

  • 自宅に置けるもので、ミニ仏壇のようなものからご遺骨を小さなカプセルに入れるインテリア風の置物まであります。その前では、お坊様を呼んでお経を上げてもらうこともできます。
  • ネックレスやブレスレット、指輪、数珠などの身に付けておくタイプです。

ご遺骨を少ない量でも残しておけば、残された人の心のよりどころにもなり、いずれは自身で散骨したり、自分が亡くなった際に一緒に棺に入れてもらったりすることもできます。いつでも故人を感じられる手元供養は毎日が命日ともいえます。

まとめ

1.命日をどう過ごせばいいか、家族は戸惑っている
2.命日とは仏教的なとらえ方
3.散骨という弔い方が注目されている
4.散骨した場合の命日の過ごし方には決まりがない
5.散骨に迷っている人には手元供養もある

現代では、人々の死生観や葬儀や埋葬、供養に対する考え方が大きく変化しています。その一方で、命日には故人を思い出し、どう過ごせばいいのか迷う人もいます。

今一度、命日の過ごし方について、家族や親族と話し合ってみましょう。

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未来のお思託編集部
散骨、お墓、終活などの準備に関する様々な知識を持つ専門チームです。皆さまのお役に立つ情報をお届けするため日々奮闘しております。