散骨は、まだ経験した方も少なく、新しい供養方法と思われがちです。しかし、実は仏教が生まれたインドが発祥といわれ、昔から行われてきた供養方法なのです。

では、なぜ散骨が今では新しい供養方法のように捉えられているのでしょうか?

それを知るために、散骨の歴史や直近までの流れ、見直されるようになった背景について考えていきましょう。散骨の由来を辿ることで、散骨が身近な供養方法であると理解していただけると思います!

散骨の始まりとその由来

散骨とは

樹木葬と並ぶ自然葬の一つで、現在一般的に行われているようなお墓を買って亡くなったらお墓に入るという方法ではなく、自然に還るという考えに基づき海や山などに遺骨を撒くという葬送方法です。

死後、その遺骨を自然に還すという考え方はシンプルで、太古の昔を思い浮かべるとむしろお墓に埋葬するという発想の方が新しいもののように思えませんか?

しかし実は、散骨の歴史は古く、日本でも奈良時代には既に行われていたといわれています。散骨は身近な葬送方法であった時代もあり、お墓への埋葬が一般的となったのは長い歴史から考えると意外にも最近といえます。

散骨の由来について、まず歴史の流れからご説明します。

散骨の始まりはインド

散骨の始まりはインド
散骨の始まりはインドで、ガンジス川に遺骨を撒いたことに由来するといわれています。そしてその後、アジアやヨーロッパなどに広まったようです。

インドは仏教の発祥の地ですが、他にも様々な宗教が発生した地です。中でもヒンドゥー教は仏教より歴史が古く、古代インドから続いている風習に習い、カースト制度という身分制度をもつ宗教として有名です。インドは紀元前3世紀頃にほぼ全土が統一されましたが、小さな国々が歴史上に混在する時代が続いたようです。

古代インドの成り立ちは、小さな国から始まり、大きな国になってゆくにつれ身分制度ができ、庶民と上層階級に分かれていったといわれている大和朝廷ができる前の日本と似ています。同様の歴史を歩んできた日本に散骨が馴染むのも頷けます。

日本での起源は平安時代以前から

散骨は、インドから仏教と共に日本に伝来し、既に奈良時代には庶民の間で行われていたようです。

文献に残っているものとしては、平安時代に当時の天皇である淳和天皇(上皇)が散骨されたことが有名です。そして、万葉集にも散骨のエピソードが歌に詠まれています。

ただし、当時の権力者にとって散骨は馴染みのある葬送方法ではなく、権力を誇示するため現在でいう遺跡のような山稜を作ることが一般的であり、散骨は庶民の間で行われていた葬送方法であったようです。そのため、文献に残ることはまれでありますが、インドの庶民生活との類似性を考えると、仏教が伝わった頃から行われていたことが想像できます。

日本での火葬の始まりと由来

日本での火葬の始まりと由来
散骨同様、仏教と共に日本に伝来したとされる葬送方法の一つに「火葬」もあります。昔は遺体をそのまま土に埋める土葬が主流でしたが、お釈迦様が火葬されたことに由来し、仏教伝来と共に日本でも火葬が広まったといわれています。

当初は大量の燃料を要するため、民衆まで取り入れられることはなかったようですが、古くは飛鳥時代の持統天皇が火葬され、そのことを荼毘(だび)にふされたといい、奈良時代初期までは仏教の影響で火葬が続いたようです。

その後、儒教の教えから土葬が主流の時代を経て、明治時代になって大都市部で火葬が実施されるようになります。戦後、公衆衛生上、人口増加に伴い火葬が奨励され火葬場の整備も進みました。その影響で急速に火葬が広まったといわれています。

今や日本では、ほぼ100%に近い割合で火葬が行われています。このことにより現在、欧米よりも散骨を行いやすい環境が作り出されているのです。

平安時代に天皇に選ばれた散骨

平安時代の歴史書『続日本後記』(巻第九)には、840年に崩御した淳和天皇(上皇)は生前から散骨を希望され、火葬した上で大原野の西山の山頂に散骨されたという記録が残っています。その時、近臣である中納言藤原吉野は身分の高い天皇が散骨したいという要望に反対したとの記述もありますが、周囲の反対を押し切っても散骨したいという強い気持ちがその行動から伺われます。

また、「万葉集」の和歌には、妻の遺骨を散骨した際の心情が美しく詠まれています。妻の遺灰を美しい宝石や花に例え、山の自然の一部になってしまうことへの寂しさと共に妻への愛情が表現されています。まさに、散骨を選ぶ現代人と通じる気持ちだろうと思われます。

なぜ散骨されなくなったのか

昔は庶民の間で人気があり、皇族も憧れた散骨ですが、なぜ現在は大衆性をなくし、新しい葬送方法のように考えられているのでしょうか?

これは、火葬が仏教と共に伝わったのちに、儒教の教えから土葬が主流の時代を迎え、その後、時代の流れから火葬が主流となったことなど宗教的な思潮や時代の流れ自体が大きく関与しています。このことは、火葬が主流である現代日本において、散骨もまた今後主流となりうることを示唆しているともいえるかもしれません。

実は、江戸、昭和初期、平成と3つの時代に、散骨にとって大きな変化がありました。この3つの時代にどのようなことがあったのか、事柄とその影響についてお伝えします。

江戸時代に始まった檀家制度に由来する散骨の衰退

まず江戸時代に、江戸幕府の宗教統制政策として檀家制度が始まり、散骨が減少しました。

檀家制度とは

親族が一つのお寺の檀家となることにより、その親族の葬送に関わる一切の行事を檀家となったお寺が執り行うという制度です。

常日頃から参拝や法要が義務づけられ、そのことによりお寺の権限が強くなっていきました。檀家制度が庶民の生活に浸透していくにつれ石のお墓に遺骨を納めるということが必然となり、散骨を選ぶということが忘れ去られ、急激に減少したのです。

現在、カレンダーに掲載されるほど浸透しているお盆やお彼岸、その他の法要など、様々な葬送にまつわる行事が確立されていったのも江戸時代の檀家制度によるのです。

昭和時代に墓埋法が整備

昭和時代に墓埋法が整備
時代は昭和に入ると刑法に死体遺棄罪というものができ、墓埋法が整備されました。これが散骨が減少した2つ目の要因と考えられます。

正式には「墓地、埋葬等に関する法律」といいますが、昭和23年に制定され墓埋法や埋葬法と略されることがあります。

法律の内容

墓地や納骨堂や火葬場の管理及び埋葬が、公衆衛生等から支障なく行われることを目的にし、人の埋葬は墓地以外にしてはならないと定められています。墓地は都道府県知事より許可された場所となります。

では、墓地に埋葬するわけではない散骨は、この法律に該当するのかというと、この法律が制定された頃は、既に散骨はマイナーな存在となっていたため、そもそも想定されていなかったのです。

散骨が注目される訳は人の営みに由来する心情

1991年(平成3年)に発足した「葬送の自由をすすめる会」は、「散骨は土に埋めて弔うわけではないため埋葬にあたらず、墓埋法の適用外になるのではないか?」と訴えました。

法務省が違法にならない旨の非公式ながら新たな見解を出したことから、散骨の衰退への流れが変わりました。これは、幕府の政策であった檀家制度に縛られない、散骨への強い要望から生まれた動きだったのではないでしょうか?

その行動を奮い起こさせた背景には、いにしえからの人の営みに由来する供養への心情があるように思われます。次は、その心情を引き出し、再び散骨が注目されるようになったきっかけについて、名作映画の中での散骨の描かれ方や現代社会の流れなどを通して考えます。

名作映画にみる散骨

名作映画にみる散骨
純愛をうたう世界的な名作のなかでは「遺骨を橋の上から撒いてほしい」と母の遺言にそって散骨を行うというストーリーが描かれているものがあります。映画化もされた作品なので、ご存じの方もいらっしゃるのではないでしょうか?

日本でも2004年に映画化された作品のなかで、亡くなった恋人の遺骨をオーストラリアの海に撒くという形で散骨が描かれています。また、2012年の映画作品には、亡くなった妻の遺骨を撒くために主人公が旅をする物語が描かれているものがありました。

どの映画も「ロマンやノスタルジー」「人を繋ぐ愛と絆」を描き、散骨への憧れを感じずにはいられません。

自然葬に由来する散骨希望者の増加

先に述べた映画には、散骨による死後の解放という共通点があるように思います。

愛する人を亡くすことで死に向き合い、無力感と対峙しながらも散骨により、故人の意思を実現し、魂を自由にしてあげられたという安堵と、ある種の達成感といった心情が描かれているように見える点です。

それはもしかしたら、ストレスの多い現代に生き、日々束縛やしがらみを感じつつ生活をしている中で、亡くなった後は暗いお墓に入るより自由になりたい、自然に還りたいと望む人の心をくすぐるのかもしれません。

樹木葬など自然葬を求める人たちが増加していますが、これは現代の自然葬人気に由来するものでしょう。同じように、散骨を希望する人も増えているようです。

家族構成の変化や継承者不足

家族構成の変化や継承者不足
実際には、お墓に入りたいと望む年配の方がまだ多いようです。しかしながら、墓地や霊園を購入するには費用も高額ですし、探すうちに疲れてしまい親戚のお墓に無理やり入ってトラブルになるケースも出てきているのが実情です。

更に、せっかく墓を作ることができても遺族が維持できず、墓じまいをするケースも増えています。処分費用は高額なため、遺族に経済的負担をかけまいと散骨を選ぶ方も多いのです。

これは核家族化や少子化が進み、家族構成が変化したことに由来するものと思われます。少子化が進むと、当然継承者がいなくなり、お墓の存続ができなくなります。

継承者がいたとしても昔からの檀家制度により、お墓の維持費がかかるため、家族への思いやりから散骨を選ぼうと思う人がいるという背景もうかがえます。

火葬技術の向上に由来する散骨需要拡大

前述の通り、日本では亡くなるとほぼ100%火葬されますが、その理由の一つに日本の火葬技術の高さがあります。

日本では、火葬により遺体を灰にせず、骨の形を留めたまま遺骨を残すことに成功するほどに火葬技術は向上しました。その技術の向上のお陰で現在は、火葬の後に親しい人たちが骨を拾い、骨壺に入れるという「骨揚げ」の儀式が可能となっており、火葬しないという選択肢を考えることもないでしょう。

欧米諸国のように火葬が普及していない国々に比べ、当たり前に火葬を行う日本は散骨をするためのハードルが明らかに低く、土葬を主体とする国々よりも散骨需要の拡大のための「土壌」は既にできているといえるのではないでしょうか。

散骨を選んだ著名人に由来する散骨人気

散骨という葬送方法を選んだ数々の著名人を紹介します。

日本においては古くは「淳和天皇」に始まり、数々の銀幕のスターと呼ばれた方たちや、著名人が散骨を選択しています。海外では、インド独立の父と呼ばれる「マハトマ・ガンディー」、世界的名女優の「ビビアンリー」、ビートルズの「ジョン・レノン」や相対性理論の「アルベルト・アインシュタイン」が散骨を選んでいます。

国内外問わず、大衆が名前を知っている著名人が散骨を選択すれば人気が出ないわけがありませんし、経験したことのない散骨に対して、憧れをもって後に続く人が増えることも当然といえます。

実は昔と変わらない散骨思想に由来する現在の散骨事情

昔も今も、死ぬことに「現世から自由になる」ことを求めていて、「自由な自然と同化したい」と願うため、世界中で散骨への憧れが生まれているのではないでしょうか。

日本で散骨が日常であった奈良時代は、病気が蔓延し戦争が多発する先が読めない時代で、庶民がお墓を継承するなどできませんでした。一方、現代社会は「少子化」や「核家族化」が進み、大切な家族に負担をかけたくないとの思いから、逆にお墓の継承者がいない状態です。

社会情勢や庶民の暮らしを考えた時、昔から変わらない弔いの気持ちと、お墓を継承することが難しい庶民生活に由来する散骨に対する想いは、昔も今も変わらないといって良いのではないでしょうか。ここからは現在の散骨事情についてお伝えします。

散骨は違法でも合法でもない

散骨は違法でも合法でもない
現在の日本では、散骨は合法でも違法でもありません。

墓埋法では「埋葬又は焼骨の埋蔵は、墓地以外の区域に、これを行つてはならない(第4条)」とされていますが、法務省が散骨は埋葬に該当しないと回答したことについては、先に述べた通りです。

刑法第190条には、「死体、遺骨、遺髪又は棺に納めてある物を損壊し、遺棄し、又は領得した者は、3年以下の懲役に処する」とあり、遺骨を撒く行為が死体遺棄と思われかねませんが、1991年に「葬送のため祭祀として、節度をもって行われる限り、遺棄罪にはあたらない」との非公式のコメントを法務省が発表しており、散骨に関する法律はないまま容認されている状況なのです。

条例で散骨できない地域がある

地域によって条例で散骨できない場所があります。過去に住民とトラブルになったことにより、市町村が散骨禁止条例を設ける場合があるのです。

また、観光地を抱える自治体では、そのイメージを保つために散骨に対して規制を設けることもあります。海への散骨の場合は、港湾や漁場・養殖場とその周辺は避けなければなりません。

散骨を禁止している地域
  • 北海道長沼町
  • 北海道岩見沢市
  • 埼玉県秩父市
  • 静岡県御殿場市
  • 静岡県熱海市

北海道長沼町の規制の背景には「近隣農地で生産される農産物に風評被害が広がる」との農家の主張がありました。あくまでも節度をもって行うべき葬送であることを忘れてはならないのです。

火葬後に粉骨しなければならない

火葬後に粉骨しなければならない
散骨する場合は、遺骨をそのまま撒くわけにはいきません。

日本での火葬は骨揚げの儀式のため骨の形を残すことを重要視しますので、できるだけ骨の形のまま残す火葬技術が発達しました。しかし、それをそのまま散骨すれば、事件ではないかと問題になることは必至です。

遺骨を2ミリ以下に粉砕しなければならないということが一般的マナーとされています。また、海へ散骨する場合にパウダー状の遺骨は浮きますので、そのまま海へ撒くというわけにもいきません。

少量であればともかく、1人分の遺骨ともなると映画のようにきれいに海に溶けてなくなるというわけにはいきませんから、水溶性の袋に入れて海へ還すというのが一般的でしょう。

粉骨は気持ちの面でも作業的にもかなり大変な作業といえますので、専門業者に依頼する方が殆どのようです。

多彩な散骨方法とその後の供養について

多彩な散骨方法とその後の供養について
現在、日本で行われている散骨は、映画「あなたへ」のように個人で散骨ツアーを行う方法と専門業者に依頼する方法があります。個人で散骨する場所を選択するのは難しく、業者に依頼することが殆どのようです。

専門業者に依頼する場合も、大きく分けて2つのやり方があります。

  • 家族が散骨する場所に行き、一緒に散骨する「立会散骨」
  • 遺骨を撒く場所で立ち会わない「委託散骨」

散骨後、散骨した位置の緯度経度が記載された散骨証明書を出してくれる業者もあり、後日、故人を偲び散骨地点へ赴くプランを用意している業者まであります。散骨プランは多彩であり、どのような散骨が行われているかご説明します。

海洋散骨や宇宙葬など専門業者へ依頼する場合

ネット上で見かける下記の散骨形式の葬送方法は、

  • 自然葬
  • 海洋葬
  • 宇宙葬
  • バルーン葬

カプセルに入れた遺骨を宇宙へ飛ばすなど限られた業者で行うプランも存在します。

一番ポピュラーな「海洋散骨」は、船で沖合に出て遺骨を花びらやお酒などと一緒に海へ流すという散骨スタイルで、散骨風景のビデオ撮影や写真を撮り後日送ってもらえるプランもあり、後々まで思い出を残すことができます。

海洋散骨には、遺骨を業者に託して散骨してもらう「委託散骨」と家族が立ち会う「立会散骨」があります。

「立会散骨」には、複数の家族が1隻の船に乗船する方法と、1家族で船を貸切って散骨する方法があります。複数の家族で乗船する場合は費用を抑えられることができますが、一方、1家族で船を貸切る場合は親戚や親しい友人だけで行いますのでセレモニーの進行も自由にできます。

散骨後の供養方法も多彩

散骨後の供養方法も多彩
散骨してしまうと「お墓もなく、手元に何も残らない」というイメージがありますが、最近では残された家族の気持ちに寄り添う方法も色々と考えられています。

海洋散骨の場合

命日や一周忌や三回忌の法要などに散骨した場所への法要クルーズを企画している業者もあり、一般的な法事同様に船での会食もできますので、故人のためだけではなく、親族や家族の親睦を深めるためにも役立ちそうです。

身近に故人を感じたいという方のためには「手元供養」という方法

遺灰を少量手元において、ミニ骨壺に納めて自宅でいつでも故人を偲ぶという方法や、最近では、遺灰を納められるフォトフレームまで販売されており、ペンダントや指輪などで遺灰を納められるものまであります。

散骨の需要の高まりから散骨後のケアに対しても多彩な工夫がなされているようです。

まとめ

1.インドから始まった散骨は、昔は庶民にとって身近な葬送方法だった
2.江戸時代に始まった檀家制度や、昭和に始まった墓埋法のために散骨は衰退した
3.「葬送の自由をすすめる会」の活動により、散骨をしても良いという流れが生まれた
4.散骨をテーマにした映画や、少子化などの社会現象を機に、再び散骨が脚光を浴び始めている
5.海洋散骨を始め、様々な散骨方法が作られており、今後益々ポピュラーな葬送方法となる

散骨の由来はインドといわれ、その歴史は古く、忘れられた時代もありましたが、現代社会で新しい葬送方法として見直され始めています。散骨は新しい供養方法ではなく、庶民の暮らしや考え方に由来する葬送方法なのです。

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未来のお思託編集部
散骨、お墓、終活などの準備に関する様々な知識を持つ専門チームです。皆さまのお役に立つ情報をお届けするため日々奮闘しております。