故人の望みに応え、散骨で見送ったという方は、近年増えているのではないでしょうか?

見送った方やその家族は、お墓に関する心配ごとがないこと、なによりも故人の願いを叶えられたことに安堵感を覚えるでしょう。一方で、散骨したその後に気分が沈む、思わぬトラブルに巻き込まれるなど、散骨したことを後悔する人もいます。

一体なぜそのようなことが起こるのでしょうか?

そこには、散骨ならではの難しさがあることに気付かされます。故人の思いを尊重しつつ、散骨後に悔いが残らないような方法はないものか探っていきたいと思います。

散骨後に悔いが残るのはどんなケースか?

近代の散骨は、ライフスタイルなどが変化する現代社会とともに出現してきた葬送方法です。お墓を建てても管理する人がいない、コストのかかるお墓は建てられないなどの理由から選ぶ人が増え、海、山、空、そして今や宇宙まで、散骨場所の選択肢も広がりました。

既成の宗教にはとらわれない死生観、自然回帰の思想など、個人の自由な発想も受け入れられるようになってきたことも散骨が行われるようになった理由として考えられます。実際、故人の希望を叶えて、散骨を無事に執り行うことができたときの家族の安堵感はかけがえのないものでしょう。

しかし一方で、その後、心が穏やかでいられずに、散骨を後悔したという方も中にはいるようです。それは一体どういうことなのか、どんな理由で散骨後に悔やむのかを考えてみたいと思います。

散骨後に気分が落ち込むこととは?

散骨後に気分が落ち込むこととは?
「散骨を後悔した」という理由の中に、

  • 散骨業者が契約通りに行わなかった
  • 悪天候で計画通りにできなかった

など、散骨自体がうまくいかなかったことに起因するケースがあります。

一方で、散骨自体は何のトラブルもなく執り行われたのに、その後、気分が落ち込んだということがあります。前者も大変な問題ですが、今回は後者を考えましょう。

トラブルなく行われたのに落ち込んでしまう、それはどんな場合でしょうか?

故人の希望による散骨だったのに、故人の本心だったのか不安になる場合

これは、納得いくコミュニケーションが生前とれていなかったことに起因しているようです。

場所が特定できないので、その後、どこに向かって拝んだらよいのかわからない場合
お墓や仏壇などのように、拝む、祈る、語りかける対象が何もない場合

これらは故人の思いの問題ではなく、残された側の気持ちの問題で、その後どう供養したらよいのかわからないなどが、気分の落ち込みにつながっていると思われます。

散骨後の親戚・ご近所トラブルについて

散骨後の親戚・ご近所トラブルについて
散骨を無事終えた後、あってほしくないことですが、次のようなトラブルに巻き込まれるケースがあります。

親族からの抗議

お墓を建てないことなどの説明が事前に十分でなく、もとより散骨には反対だった親戚から責められるようなケースです。

ご近所トラブル

家族で所有している別荘近くの山林で散骨し、近隣の人に知られた途端に関係が悪化するなどのケースもあるようです。

漁業関係者・近隣住民からの苦情

近年は一部の地方公共団体が、散骨に関して規制する条例を設けています。また、海洋散骨業界の団体では、散骨する場所を規制し、環境汚染へ対応する処理方法を推奨するなど、独自にガイドラインを設けています。

そんな中、業界団体に未加盟なため、海岸近くなど非常識な場所に散骨する業者もあり、漁業関係者や近隣住民から苦情が出るといったケースがあります。

供養は何のために行われるのか?

供養は何のために行われるのか?

そもそも供養とは何でしょうか?

仏教における供養は、サンスクリット語のプージャナーが語源といわれ、仏様を敬い、お供え物をささげる行為のことを指しています。後に死者に対しても行われるようになったわけですが、それらは追善供養と呼ばれています。

具体的には、

  • お葬式
  • 法要
  • 仏壇にお供え物やお線香を上げる
  • 僧侶に読経を上げてもらう

など、故人に対して冥福を祈る行為をすべて供養といいます。

現在では、関係者が集まって故人をしのぶ会をする、故人の遺骨でアクセサリーを作るなども供養と呼ばれています。このように供養の仕方は多様化し、仏教だけに限らず、故人に対して冥福を祈ることすべてを一般的に供養と呼ぶようになりました。

ペット供養も供養?供養の種類について

ペット供養も供養?供養の種類について
仏教の世界では、供養の種類として、

  • 敬供養
  • 行供養
  • 利供養

と分けることができます。

敬供養

僧侶に読経を上げてもらうなど、仏様、仏教を敬うこと

行供養

修行するなど身をもって供養すること

利供養

お供え物など、物をもって供養すること

よく耳にするペット供養はどうでしょうか?

仏様や人間だけでなく、生き物に対しても、人は感謝や親愛を込めて供養を行っていますね。飼っていたペットが亡くなると、お葬式をしたりお墓を建てたりする人も増えました。単なるペットでなく家族同然という思いが伝わってきます。

さらには針供養、人形供養など物に対しても供養は行われています。感謝を込めて、お焚き上げする前にお経を唱えるなど、人間と同じような方法で供養は行われています。

先祖供養と永代供養

先祖供養とは、自分の親、祖父母、その前の先祖を供養することです。自分が今、生きているのは、ご先祖様のおかげであると感謝の気持ちをもつこと、それを実践して恩返しをする行為のことです。

供養の仕方としては、

  • お墓参り
  • 仏壇へのお供え物
  • お経を唱える

などになります。

しかし今、先祖供養のひとつ「お墓参りができない」という人が増えています。こういった状況から、お寺や霊園は、お墓の管理・供養を家族に代わって行う永代供養という方法を提供するようになりました。

埋蔵方法としては、遺骨を一定期間安置した後、合同墓に合祀する形が増えています。ここでいう永代の意味は、未来永劫というよりもお寺や霊園が存続する限り、代わりに供養し続けてくれることを指しています。

宗教で違う死生観とお墓の形

宗教で違う死生観とお墓の形
宗教は死の恐怖を和らげることに主要な意義があるともいわれています。世界中のどの宗教でも死後の世界を描くのはその表れのひとつですね。

そして、その世界観・死生観には少しずつ違いがあり、

  • 埋葬方法
  • お墓の形
  • 供養の仕方

に大きな影響を与えているといえるでしょう。日本では古くから万物にも魂が宿ると考えられ、人は自然と共存しながらおそれてきました。

そこに神道・仏教などの考えが入ってきて、魂は生まれ変わるなど、いわゆる日本人的な死生観が形作られたといわれています。今の多くの日本人は無宗教であるとされていますが、実は自然信仰、神道的・仏教的な死生観が深層にはあるのではないでしょうか。

ただ、生と死が切り離されている現代においては、死の実感を幼少期からはもてずに簡単には死生観をもてないまたは、漠然とした思い込みを自覚することが難しくなっているのかもしれません。そんな中でも普段から死について考える機会をもつ自分なりの死生観をもつことが死に直面したときの精神的な助けにつながるのではないでしょうか。

そう考えると、散骨後の不安の中には、死生観の有無が関係している場合があるのかもしれません。

供養の場所・お墓の形が意外と自由な神道

初詣、結婚式、七五三などお祝いのイメージが大きい神社ですが、そこにはお墓もあります。そして、お墓の形については特に決まりはないようです。

土葬が一般的だった頃、埋葬は山、お墓は家の近くというような両墓制が、日本には伝統的にありました。現在、神社にあるお墓はお骨を埋めるところであり、供養をするところでもあり、供養する場所はいくつあってもいいという考えが受け継がれています。

ところで、仏教でも、お墓と仏壇があり、供養する場所がひとつでないというのは同じですね。仏教の仏壇に相当するのが、神道では神棚か?というと若干違うようです。

神棚は神様をまつる場所で、神社から授かったお札を納めた宮形が置かれます。宮形は、神社に模して白木で作られますが、その構造も一社造り、三社造りなどがあります。

そして神道においては、神棚とは別に、故人をまつるための祖霊舎があるのが特徴です。仏教における位牌に相当する御霊代は、神棚の方でなく、祖霊舎の内扉にまつられます。

死後の世界観が異なるキリスト教のお墓と供養

キリスト教における埋葬方法は火葬が増えているとはいえ、伝統的に土葬が主流でした。それは世界に終末が訪れて神様がすべての死者を復活させるという終末思想に起因しています。

復活したときに肉体がないと困るので火葬をしないという考えなのです。お墓の形としては特に決まりはなく、プレート型や地面に埋め込む形など様々です。

墓石に刻むのは故人の名前、洗礼名ほか、十字架、聖書から引用した言葉など、こちらも自由度が高いようです。そして、なんとキリスト教には供養の概念がないとのことです。

仏教のように死んだら仏様になるといった発想がなく、お墓前で礼拝は行われますが、故人に対してではなく神様に対して行われるということです。

キリスト教の場合は、お墓は魂が眠る場所ではなく、あくまでも故人に思いをはせる場所というとらえ方になります。

お墓参りという先祖供養は意外と新しい

お墓参りという先祖供養は意外と新しい

なぜ人はお墓を建てるのか?

実際にお墓を建てた人の多くは、故人を忘れないため、故人やご先祖様へ感謝を伝えるためと、おそらく答えるでしょう。そしてもうひとつ、お墓を建てるという行為自体が、故人の死を受け入れていく助けになるともいわれています。

ところで、現在、郊外などでよく見かける霊園などのお墓は、いつ頃からあるのでしょうか。

どうやら昭和30~40年代、都市に人が集まるようになった高度成長の時代に、公営やお寺の墓地が広く整備され、民間の霊園なども徐々に増えていったようです。都市に出てきてマイホームを建てた人たちの中に、親のお墓参りができるように、または自分が入れるようにと、郊外にお墓を建てる人が多かったと予想されます。

お盆やお彼岸になると、郊外へ多くの人がお墓参りに出かける。そんな光景が見られるようになったのは、意外と新しいのですね。

お墓・供養に影響 埋葬方法の変遷

お墓や供養の方法に影響を与えることのひとつに、埋葬方法があります。日本ではどのような埋葬の習慣があり、いつから火葬が主流になったのかをここで確認してみましょう。

縄文・弥生時代には、土に直接埋める土坑墓、お棺に入れて埋葬する木棺墓などの土葬が行われていました。ただ、山などに遺体を放置する遺棄葬ほか、様々な方法が各地域には共存していたと思われます。

火葬が最初に記録として出てきたのは日本書紀で、仏教の普及が火葬を受け入れる助けとなりました。江戸時代になると、お寺の檀家制度が整備され、火葬場をもつお寺も現れましたが、庶民の間ではまだ土葬が多かったようです。

明治時代の初めに火葬禁止令発布、その後撤回されるという混乱もありましたが、大正時代になると、土葬から火葬への移行が進みました。そして昭和から平成へと火葬率は上がっていき、現在の日本では100%近くになっています。

公衆衛生面、社会情勢、火葬技術の進歩などの影響を受けながら、火葬が主である現代になるまで大変長い歴史があったのです。散骨ができる今の葬送方法は、長い時間をかけて到達した高い火葬率の上に成り立っているといえるのではないでしょうか。

仏壇もお墓も両方必要?仏壇の役割は?

仏壇もお墓も両方必要?仏壇の役割は?
散骨後に残る不安として、手を合わせる対象がない、というのがあります。仏教においては、外ではお墓、家では仏壇の両方が手を合わせる対象としてあります。

ここで、仏壇の役割、お墓参りとの兼ね合いについて確認してみましょう。仏壇は、家の中のお寺であるといわれています。

仏壇の最上段にある須弥壇にはご本尊を置き、その一段下に、故人や先祖の位牌を置くようになっています。これらの飾り方を見ても、仏壇の主な役割は、仏様に対して心を向けることと、先祖代々の供養をすることといえるでしょう。

「お墓と仏壇」この両者にはお骨があるかないかの大きな違いはありますが、その意義は近いように思われます。宗派で違う場合もありますが、お墓参りに行けないときは、仏壇に手を合わせるのでもよい。

もし両方を揃えられなければ、お墓か仏壇かどちらかをもつのでも大丈夫ともいわれています。もしお墓がなくても、仏壇で供養をすれば、安心感を得ることができるということですね。

手を合わせる対象がないという散骨後の不安に対して、何らかのヒントになるのではないでしょうか。

散骨後に悔いが残らないようにする方法は?

散骨は、本人の強い希望で行われることが多いので、散骨後に悔やむことがあるとしたら、悔やむ主体は家族になります。散骨はうまく執り行われたのに、その後に訪れる気分の落ち込みは、原因の多くが供養に関することにあるといわれます。

故人の散骨をやり直すことはできません。後悔を生かすのは、後の人が自分のときはどうするかよく考えることかもしれません。

今や様々な供養の方法が選べる時代。これからの葬送方法の可能性を探る端緒として、後悔した人の声を意識しながら、手元供養と樹木葬に注目してみたいと思います。

散骨後にお墓はないが骨を残せる手元供養

散骨後にお墓はないが骨を残せる手元供養
手元供養とは、大切な故人のお骨を自宅などにおいて、故人をしのぶことのできる供養のひとつです。お骨の一部を、小さな骨壺に入れるほか、ペンダントやお地蔵さんに加工するなど、様々な形で残します。

ミニ仏壇と手元供養とのセットなどもあり、扱う業者はたくさんあります。このような手元供養は、既成の宗教観や従来の慣習などにはとらわれず、自由な発想で行う供養の方法として注目を集めているようです。

どんな人がこの方法を選択しているのでしょうか?

  • 住宅事情から、小さな仏壇で供養したい
  • 寂しくてお骨が手放せない

など理由は本当に様々です。

中には、散骨と組み合わせて手元供養を考える人もいるようですね。確かに、故人をしのぶ対象を手元に置けば、散骨後の悩み、不安は、和らいでいくのではないでしょうか。

一方で、デメリットも考えておく必要があります。それは、その後、手元供養をしていた人が亡くなった場合。

その人にとってかけがえのない手元供養であっても、それを引き継ぐ人がまったくの他人である場合、忌避感情をもたれる可能性があるということです。その大切な手元供養を、その後どうするか決めておくことが必要になります。

散骨と樹木葬のその後は悔いが残らない

散骨と樹木葬のその後は悔いが残らない
散骨を望む人の主な理由には、自然に還ることができるというのがあります。今その目的に近い方法として、樹木葬が関心を集めているようです。

樹木葬をその場所で大雑把にわけると、山林など自然の中の樹木葬、霊園の中に作られる樹木葬にわけることができます。主に霊園の樹木葬などで、墓標が木になっただけで、契約方法や埋葬方法などが従来のお墓と変わらないものもありますので、注意が必要です。

ここで確認しておきたいのは、樹木の根元に粉骨したお骨をまく行為は散骨という範疇に入るということです。あくまでも埋める方法をとるのを樹木葬ととらえ、その特徴について整理してみましょう。

まず、樹木葬の木は認可された墓地にあるので、近隣住民からの苦情などのトラブルに巻き込まれる確率は低くなります。また、山林の樹木葬の中にも、目印をつけて記録を残してくれるところがあり、その場合には手を合わせる場所の特定ができて、会いたいときに会えるという安心感が得られます。

そして、散骨と同じように土・自然に還ることを望むのであれば、骨壺などの人工物にお骨を入れない方法をとる樹木葬を選択することができます。費用面では、散骨よりかかる場合もありますが、以上のようなメリットを考えて、樹木葬という選択を視野に入れるのもよいかもしれませんね。

ただ、散骨に近い考え方ゆえ、「やはりお墓を建てたかった」など、散骨と同じような理由でその後に悔やむ人もいるとのことです。結局は、何を選ぶにしても、自分が納得するまでよく考えるしかないということでしょうか。

まとめ

1.トラブル面のほか、供養の仕方がわからないなど、散骨後に悔いを残す場合があります。
2.供養とは、故人の冥福を祈ることすべてを指し、先祖供養のひとつにお墓参りがあります。
3.多くの日本人がもつ死生観の深層には、自然信仰・神道・仏教などがあるといわれています。
4.郊外へお墓参りに出かける習慣は、昭和の高度成長期から始まったといわれています。
5.散骨の考えに近い方法として、お骨を少し残す手元供養、樹木葬などの選択肢もあります。

「散骨したその後、供養の仕方がわからない」などと後悔しないためにも、散骨のほかにも多様化する葬送方法を知っておくとよいでしょう。

あわせて死とは何か、供養とは何かを日頃から考え、自分なりの死生観をもつことが大切なことなのかもしれません。

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未来のお思託編集部
散骨、お墓、終活などの準備に関する様々な知識を持つ専門チームです。皆さまのお役に立つ情報をお届けするため日々奮闘しております。